【ストーリー】疑惑の温泉郷

(※架空/二次SS) 八百万神秘譚/八百八町あやかし捕物帳

【疑惑の温泉郷


 

ここは多くの神が、癒しを求め訪れる人気の温泉地。
その地に、若き戦神はいた。
 
彼の名はサクト・オオガミ。
戦神だが、湯の神も兼任しているサクトは、その縁から“助っ人”ならぬ“助っ神”として、暫く温泉関係の仕事を手伝うこととなったのだ。
 
そして彼は今、関係者以外立ち入り禁止の事務所に呼びだされていた。
 
…呼びだされた理由は、なんだ?
椅子に座り、びしっと背筋を伸ばすサクトは、戦を前にした新兵のようであった。
 
もっと気を緩めてもよかったのかもしれないが、呼びだされた理由がわからない以上緊張は解けない。
 
いっそ温泉客相手のように、くだけた口調で話しかけられればマシかもしれないが…。
結局そんなこともできず、ただ眼前にいる相手の言葉を待つばかりだ。
 
サクトの緊張を知ってか知らずか、呼びだした相手はゆっくりと口を開いた。
???「今回…私がここを訪れた理由ですが…。」
机を挟み向き合っていた…相手-トミ・コトブキは、どこか怒気をはらんだ声音で言う。
サクト「…ッ!」
 
トミ「とある神から、告発を受けてですの…。」
サクト「告発…ですか?」
トミ「ええ。」
ますますもって心当たりがない。
 
サクト「トミさ…。」
トミジョゼフィーヌですわ!!」
先ほど挨拶を交わした際、トミからジョゼフィーヌと呼ぶよう言われていたが、どうにも馴染みがないせいで、トミの名が口からでてしまう。
 
サクト「ジョ…ゼフィーヌさんは、商いの神ですよね?」
トミ「そうですわ!」
と力強く言った後、彼女はため息交じりに話を進める。
 
トミ「管轄違いと言いたいところですが…。
神の温泉地とはいえ、商いが関わっている…ということで、巡り巡って私へ調査の依頼が回ってきましたの。」
神の上層部は、結構適当なのだ。
 
サクト「は、はあ…。」
と言われても、サクト自身はここで商売をやっているわけでない。
人間で言うところ『実家に帰省して、ちょっと家業を手伝っている』程度の気持ちで引き受けており、当然賃金ももらってない。
さらに言うと、ここはサクトの実家でも社でもないので、完全なぼらんてぃあである。
 
しかし、告発とは不穏だ。
なんにしても詳細は確認せねばならない。
サクト「ト…ジョゼフィーヌさん、どのような告発ですか?」
トミ「この地の温泉で、あなたがお客を騙している…と。」
 
サクト「ええ!?」
トミ「あなたの力で…お湯はだしましたの?」
サクト「え?」
トミ「だしましたの!?」
サクト「……だしたな。」
強く問われ、思わず呟いてしまった。
 
トミ「まあ!やはり温泉偽装ですわね!!?」
サクト「ええ!?」
鬼の首を取るような勢いで、トミが机に乗りだしてくる。
 
サクト「い、いや落ち着いてください!?ト…ジョゼフィーヌさん。」
トミ「…言いわけですの?」
 
サクト「確かにボクの力で湯はだした…けど、それはこの地の温を呼び寄せたものだ。」
呼び寄せた湯…温泉を、適温に保ち、必要ならば追い炊きなどを行い調整していると。
サクトはこの温泉地でやっている、作業を簡単に説明した。
 
トミ「つまり無関係のお湯を、温泉にたし湯していたわけでは…ない、と?」
サクト「この温泉地のものを使っている…。」
サクトだって湯の神として、頑張っているのだ。
水質の知識もないわけではない。
思わず荒くなった語気に、彼の内情が表れていた。
 
告発内容は、この地の鉱水成分を別の水で薄めているという、温泉偽装についてだった。
その不正を暴いたと思ったが、勘違いだったとわかり、トミがぐうっと口をへの字に曲げる。
トミ「……信用しますわ。」
加えて、トミは謝罪も入れた。
サクトの反応を見てなお、判断を誤るほど愚かではない。
 
実のところ、温泉に求める基本的な効果…。
神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性等への効果は、通常の風呂でも得られるのだ。
 
ましてここの客は人ではなく、神。
特殊な鉱泉であろうがなかろうが、…人以上に、体調に変化がでるわけではない。
それでも、律儀にこの地の湯を使っていたのは、サクトなりの気遣いだ。
湯の神としての、こだわりとも言える。
 
さて…と、トミは持っていた紙をはらりとめくり確認する。
トミ「では、次に参りますわ。」
サクト「ま、まだあるのか!?」
トミ「もちろんですわ。逃げても構いませんけど、その場合…罪を認めたという扱いになりますわね。」
サクト「……進めてくれ。」
 
トミ「いい覚悟ですわ。次の疑惑は……卵ですわね。」
サクト「卵…?」
この地では温泉を使って茹でた卵が食べられるのだ。
それに何か問題があるということだろうか?
 
トミ「ここでの卵は“温泉卵”とおっしゃっているようですが、つまりここからでている温泉を使用して調理されていまして?」
サクト「ああ…。」
トミ「お鍋で茹でたわけではないと?本当ですの?」
サクト「本当だ…。」
 
トミ「商品名に偽りなし、ということですわね…。」
トミは確認したことを、持っていた紙へさらさらと記録していく。
 
ここまで厳しくされる意味はあるのだろうか。
温泉で作っていない卵でも、似た形状のとろとろ卵であれば、そう呼ばれる場合もあると思うが…。
 
サクトの表情から言いたいことを読み取った、トミがきつく言った。
トミ「油断してはめーですわよ!昨今の消費者は厳しいのですわ。」
商品偽装やら疑いをかけられることもあると、商売の神は豪語した。
サクト「は、はあ…。」
 
その後も告発の真偽確認は続く。
そうした全てを終え、若き戦神は思った。
戦だった…と。
刀を振るうものではなかったが、この事務所で行われたのは戦だった…と。
 
トミ「今日はこの辺で、勘弁してあげますわ。」
という謎の捨て台詞を残し、トミは去っていった。
 
一通りの疑惑は、解消されたからよかったが…。
どの告発も、難癖に近いものであった。
サクト「…告発、か。」
知らぬ間に恨まれでもしたのだろうか?
 
告発者はトミも知らないらしく、その点は彼女も同情してくれた。
そして同情ついでとばかりに、様々な商売あどばいすとやらを、おせっかいなほど叩き込まれた。
むしろそれがより一層、サクトを疲れさせた気もするが…。
 
サクト「はー……。」
湯の神であるサクトは思った。
疲れをとるには、風呂が一番だ、と…。
サクト「風呂…入るか…。」
 
その後もトミに対し、本人の望むジョゼフィーヌではなく、
トミと呼んでしまうのは、単に名に馴染みがないせいか、
事務所での一件へのささやかな反撃なのかは、サクト自身にもわかっていない。